キョン

想像し共感する努力

夏の早朝、ひと気のない山道をロードバイクで走っていると、2匹のキョンの子供が森の中から飛び出してきました。時速35kmで走るロードバイクの脇を並走しながら、2匹が戯れ合うようにして駆けていく姿には生きる力が満ち溢れていて、千葉県が必死に繁殖を食い止めようとしている特定外来生物であっても、この世に生を受けた一つ一つの命なのだということをあらためて実感させられます。

eatosの周囲でも庭をてくてく歩いていたり、畦道を猛ダッシュする姿をよく見かけます。

目先の利益のために見世物として連れてこられたキョン。施設の杜撰な管理で野生化して、急速に繁殖し、農作物の被害が出始めたら今度は邪魔者扱いされるキョン。

人間の強欲さ、身勝手さ、想像力のなさに愕然とすると共に、自分の中にもそういった人間ならではの愚かさが当然のように備わっていることを思い知らされます。

そして駆除される側のキョンの視点で見た世界を想像してみると、人間の行為の恐ろしさに背筋が凍りつく。

殺処分という言葉。
捕まえて、殺して、捨てる。

ただ、ひとつの命としてこの世に生まれてきただけなのに、生まれたときから何故か周囲の人間に迷惑がられて、捕らえられて、殺されて、捨てられる。

キョンを捕獲しなければならない方々の中には、貴重な命をいただくのだから、ただ殺してしまうだけでなく、できるだけ大切に活用しなければと考えている人もきっとたくさんいて、その価値観やバランス感覚は人としてとても大事なことなんじゃないかと思う。

鳴き声は確かにちょっと怖いし、夜行性にも関わらず最近は昼夜問わず見かけるキョン。そんなキョンも当然のことながらちゃんと生きている美しい命です。

実際に被害にあわれている農家の方々にとっては死活問題になりうることだから、何か手を打たなければならない状態なのは仕方のないことなのだと思うけど、金になるから連れてきて、邪魔になったら駆除すればいい、という人間全体としての行為を、立ち止まって考える必要はあるんじゃないか。

自分が直接連れてきたわけではないから関係ない、とかそういうことではなくて、ただ駆除されるべき対象として捉えるのではなく、人間が犯してしまった過ちや、自然の中で果たすべき責任みたいなものを考えるきっかけになったらいいと思います。

自然へのリスペクト、目に見えないものへの畏怖のようなものを取り戻していくこと。そして自分以外の人や動物の視点で想像し、共感しようとする努力。平和で穏やかな世の中を作っていくために一人ひとりができることって、きっとそんなことなんじゃないかと、疾走するキョンたちを見ながら思った夏の早朝でした。